2010年11月30日火曜日

手術を受けるまで。8

会社を辞めて、家族や友達と旅行に行ったり、
なかなか会えない友達に会いに行ったり、
今までできなかった事を存分にして遊びました!

思えば大学でもずっと制作に打ち込んで、お金もなかったし。
働いてからはずっと残業で、せっかくの休みも
急に仕事が入ったりするので旅行の予定も入れなくなって。

とにかく開放感に浸ってやりました。

それから手術の日取りを決めに、再び一色クリニックに行きました。

このときも前回と同じく、病院ではそれほど症状は出ませんでした。

看護婦さんからまた同じように説明を受け、
本当に手術受けますかと聞かれました。

正直、前回の診断から半年が経ち、
いろいろ調べて怖い情報も見ていたので
いざ受けるとなると怖じ気づきそうでした。

でも『でも、もう決めているので!』と言ってしまいました。。

言ってからやっぱりよかったのか?って弱気になったりもしたけど
これまで8年間も悩んできたんだ。受けるしかない!
もう受けるって言っちゃったもん!って自分に言い聞かせてました。。


幸運にもすぐに手術できることになり、
2010年11月16日に手術を受ける事が決まりました。


一色クリニックには手術室は無く、
寝屋川の小松病院で手術を受けることになります。

手術を受けるまで。7

2010年5月。一色クリニックで初診を受けました。

検査を受けましたが、静かだったのであまり症状はあらわれませんでした。

でも、かすかに出た症状を聞いて先生は
軽度だけれど痙攣性発生障害で間違いないでしょうと言われました。

そこから、いろいろとこの病気の説明を聞きました。

私の場合、軽度だけれど発症してから期間が経っているので
手術を勧めると言われました。

迷いはなかったので、やったぁー!手術受けれるー!って感じでした。

その後、看護婦さんから手術や術後の詳しい説明を聞きました。

術後の傷跡のこと、声の回復までの期間のこと、
また軽度の人ほど手術をして後悔したと言う人がいること。

それでも手術を受けますか?と聞かれました。

全く迷っていなかったので、正直そこまで考えてなかったなぁという事もありました。

でも自分が今まで悩んでいたことを説明していると涙が出そうになってきて
やっぱり、悩みを絶つには手術を受けるしかないんだと看護婦さんに言っていました。

ただ、回復までにはかなり時間がかかる事がわかったので、
手術は当時働いていた会社を退職してからにすることにしました。

もともと退職を考えていたところだったので、それがふんぎりとなりました。

その年の夏、退職の意向と病気の事を話し、
その年の秋に退職することが決まりました。


職場は静かなところだったから、
ふだん仕事をしている分にはほとんど支障はなくって、
病気の事を説明したとき上司は
『そういえば時々苦しそうな時があったね』
といった感じでした。

でもとても心配してくれて、『手術が終わったら、
しゃべれなくても帰ってきてよ』とまで言ってくれました。

退社の根本的な理由はそこではなかったので、もう戻るつもりはありません。

でも『あなたの人生だから』と、快く意向を尊重してくれてすごく心が軽くなりました。

涙ながらに応援してくれたことは、今も忘れません。

2010年10月15日、3年半働いた会社を退職しました。

2010年11月29日月曜日

手術を受けるまで。6

インターネットで、最初は『耳鼻科もやってて心療もやってるところ』
をさがしてたのですが、『音声外来』などもあることを知り、
そのうち頭に『発声障害』ってゆうことばが浮かんだんです。

ぱっと検索してみると、『SD』というワードがいっぱい出てきました。

『SDの会』のHPをみて、これだ!!と思いました。

“痙攣性発声障害”という病気があることを知りました。


まず、じぶんの声の症状に病名があることを知り、
他にも同じ症状をもつ人がいることを知り、
とにかく安心しました。

同じ症状を訴えるブログや記事を見て、泣きそうでした。

声のサンプルムービーもたくさんアップされていましたが、
これは怖くて見れませんでした。。

文を読んだだけで『これや!』って確信したし、
とにかく自分にとってのコンプレックスの塊みたいな
あの声を聞くのが怖くてムリでした。

そして、それを治す為の手術や注射があることを知り、
ぜったい受けようと心に決めました。

しかも幸運なことに、その専門の病院が地元京都にありました。

その週末、さっそく京都の一色クリニックへ診察してもらいにいきました。

ほんとに、心に光が差すってこうゆうことやと思いました。

手術を受けるまで。5

社会人になって働きだした会社は、
幸運にもとても静かなオフィスでした。

ふだん電話は嫌で、友達からも
『電話やと何言ってるか分からへんしメールの方が早いよなー』
とか言われてました。

でも会社はとっても静かだったので、電話の対応も普通にできてたんです。

それがだんだんと、たまに声が出なくなる時がでてきました。

入社後3年くらい経って、いろいろ責任を任され、
ストレスが増えてきてたんだと思います。

会社が大きくなり、朝礼の制度なども始まり、
声のことが仕事に支障をきたすようになりました。

『このままではあかん』と思い、また病院を探そうと思いました。

手術を受けるまで。4

思えばいちばん楽しいはずの高校・大学生の時期に
原因もわからないままこの病気を煩い続けていました。

お祭り、ゲーセン、居酒屋、ショッピング・・・

楽しいところに行きたくて
でも行っても話をするのは億劫で。

悪気なく声のことを笑いの小ネタにしてくる友達。

気づいてないのか?気づいてないふりしてくれてるのか彼氏。

みんなたまに心配そうに声をかけてくれるんだけど、
こっちも原因もわからないし、どうしようもなくて。

いつも『精神的なものやって言われてるけど、よくわからへん・・・』
って言ってました。

べつにこれといって悩みもなかったし。

そりゃあ人間やから、それなりにいろいろ考えたり悩んだりするけど。

基本的に奔放な性格やったから、精神的にって言われても
これ以上どう解き放てば?ってかんじでした。笑

手術を受けるまで。3

高校を卒業し、やめとけばいいのに、また大きな声を出すアルバイトをしていました。

その時のスタッフからは、未だに酒ヤケキャラ扱いされます。

悪気がないのはわかるので、笑って流すのですが
それがこの病気のいちばんのストレスなんですよね。。

原因のわからない苛立ち。
出したくってこんな声なんじゃないのに。
なんでなんやろうって。。

その頃から、声について悩み始めました。


そして、カウンセリング等もやっている診療内科専門の病院に行ったりもしましたが、
やっぱり効果はなく、すぐに行かなくなりました。。。

手術を受けるまで。2

大学進学を控え、一度検査してもらおうと日赤病院に行きました。

喉なので、耳鼻科に。

症状を説明すると、喉にカメラを入れられ

発生時の声帯の状態をチェックされました。

その時は症状は出ておらず、精神的なものと診断され、
心療内科にまわされ安定剤をもらいました。

飲み続けましたが効果はあるようなないようなよくわからない感じで、
再診でさらに強めのお薬をもらいましたがこれといって効果はありませんでした。

緊張しやすい性格だったので、プレゼンのときに飲んだりしていました。
(デザイン系の高校だったので、授業でプレゼンがあるんです。)

結局、あまり効果がわからなかったので、そのうち病院には行かなくなりました。

手術を受けるまで。1

私が声に異常を感じ始めたのは、高校2年の時でした。

今から思えば、原因は居酒屋でのアルバイト。

大きな声で挨拶をしたり、オーダーを通したりしないといけない職場で、
かなり無理をして大声を出していました。

わたしは特別声が小さいと思ったことはなかったのですが、あまり大きな声を出したり、声を荒げたことはなかったので、今から思えばかなり負担があったんだと思います。

みんなと同じように、同じ大きさの声を出そうとしてもなかなか出ず、
無理に出そうとして変な発声法が癖になってしまっていたんだと思います。

肺一杯に空気を溜めて、喉にグッと力を入れるような感じ。

そうすると最初少し苦しいような感じがあるのですが、
出し始めると気持ちよく大きな声が出て。

そんなこんなでアルバイトを続けていたのですが、
辞める頃になって声につまりが出てきました。

何だろうって自分でも不思議で、友達にも『また声出てないね』『酒ヤケ?』
って言われるようになりました。